人事の重要性が高まっている現代の社会。従来の役割であった管理業務に加えて、人材の育成や定着に対する取り組みが必要となってきています。個々のスキルや能力、適性を見極め、さらにパフォーマンスを高められるような人材戦略が必要となっているのです。
そうした背景から、既存の人事部門に加えて各事業部内に人材開発を手掛けるミッションを持たせる企業が増えています。今回は、従業員との物理的な距離、フォローの難しさという、大企業だからこそ起こりやすい課題の解決に取り組んだキヤノンマーケティングジャパン株式会社・エリア事業戦略本部の橋本和也氏に、大規模の人材育成・戦略を成功させるためにどういった苦労、仕掛けを行ってきたのか、お話を伺いました。
目次
お互いの誤解から生じる理不尽な退職は極力減らしたい
キヤノンマーケティングジャパンは、キヤノン製品や製品に関連するソリューション提案、マーケティングなど、多岐にわたる事業を展開しています。私が所属しているエリア事業戦略本部は、ビジネスパートナーを介した間接販売業務支援や、営業戦略立案を行う部署で、私はそこに在籍する約1,000名の社員育成を担当しています。弊社では、一般的なビジネススキルや全社共通の育成などの入社時に人事部が行う研修と、各事業部配属後に事業部が主体で行う業務に関わる育成とを差別化。それぞれの事業部でも積極的に、人材育成・人材開発に取り組んでいます。
入社後の研修の流れ
弊社の新入社員の育成としては、入社して4~5月は新人研修、6月は営業研修を行い、その後数カ月にわたりグループ会社で直販の営業の基礎を学んだ後、2カ月間の配属先にて準備期間を経た翌年1月より本格的な勤務を開始するというのが一般的な流れです。
しかし、会社の規模が大きいがゆえ、配属後はなかなか状況を把握しづらくなってしまいます。配属先は全国になり、育成担当もそれぞれの上長が担当するため、個々との接点を持ち続けるのが難しかったのです。従業員が離職などを考えていても、それを察することや原因を知ることが難しくなってしまうのではという懸念もありました。もともと一般的に言われている入社後3年で3割という離職率に比べると、離職する人は少ない方だと思いますが、育成についてよりよくしていきたい、優秀な人材の維持・定着に力を入れていきたいと考えていました。
もちろん、すべての離職を止めることはできません。プライベートな理由や従業員自身の考えがあってのことであれば、送り出してあげるべきでしょう。しかし、理不尽な退職だけは避けたいと思っていました。たとえば、上司とのすれ違いや、互いの誤解、環境的に変えられる余地があるものなど、解決できる問題であれば、なくしていきたいと考えています。特に、弊社のように全国に拠点がある企業の場合、距離が問題となったり、互いを理解していなかったりということからのトラブルも多いものなのです。
離職防止とエンゲージメントの向上を目指すなかで、HRシステムの導入を検討
弊社の人事、特に私と同じように人材開発に携わっている人間は、決して多くはありません。限られた人数で新入社員の20名以上、さらに1,000人を超える部署内の従業員をすべて管理するのは現実的に難しく、ツールやシステムの導入を検討していました。そこで、2020年に開催された「HR EXPO」に参加しました。HRに関するさまざまな商品があることを知り、なかでも興味を惹かれたのが、「MotifyHR」というHR専用システムでした。
機能や使用方法についての詳しい説明を聞くとともに、代表の方がエンゲージメントについて書かれた書籍をいただきました。その内容は腑に落ちる部分が多く共感できるもので、費用やシステムの特徴も私たちが求めていたものとマッチしていたため、早速デモンストレーションを依頼。前向きに導入を検討しました。エンゲージメントという言葉はまさに旬。時代が求めているものだと思います。だからこそ、知識やノウハウを持っている会社のシステムを使うことで、自社の課題解決ができるのではないかと考え、2021年2月から運用を開始しました。
実際に使い始めて、特に機能としてよかったのは、パルスサーベイ※です。簡単な質問に答えてもらうことで従業員の満足度や健康についての懸念を企業側が把握できます。毎月のレポートも自動で作成されるので、従業員の現状がわかりやすくなり、実施する側の手間も最小限だと思います。導入前はたまにアンケートをとるくらいで、こういった本格的な調査は自社になかったものなので、大変参考になり役に立っています。
劇的ではなくても、続けることにより少しずつ確実に見えてくる効果
実際に新入社員を対象に使用してみると、管理者である私たちが把握しづらかった新卒の状況などがレポートやサーベイで確認できるようになりました。弊社ではこれまで新卒採用がメインでしたが、2022年からは中途採用も開始します。今後は、中途入社の従業員に対しても積極的にシステムを使っていこうと思っています。
もちろん、導入してすぐはシステムの入力が少なかったり、返信が遅かったりということもありましたが、翌年からはこちらも運用に慣れ、新入社員のコメント入力や返信などもスムーズになってきたように感じます。必要に応じてメールなどで促すことはありますが、こういったシステムは業務と違うため、やらされていると感じてしまっては意味が薄れてしまうもの。ストレスなく、コミュニケーションの一つとしていけるよう配慮しつつ、指導しています。
見えてきた変化としては、第一にコミュニケーションがスムーズになったこと。これまでのように離れた場所にいるから状況がわからないということが少なくなりました。パルスサーベイが声をかけるきっかけにもなっています。サーベイの回答内容に変化があった時はもちろんですが、入力がない時でも、「最近入力がないね」「すみません、サボってます」など、何気ないやりとりができ、日々の接点が増えました。また、入社して2~3年目を迎えると、日々の業務も増え、開封や入力などに時間を取ることが難しくなることも予想されます。これについては運用方法の変更も含めて検討していくつもりです。
特に新卒や入社したばかりの従業員は、なかなか会社の雰囲気に慣れない、相談できる相手がいないなどの理由から、疎外感や孤独感を覚えがちです。こういった課題は、新型コロナウイルスの感染拡大によってどの会社でも増えているのではないでしょうか。しかしHRシステムを導入し、互いにつながっていると感じられることで、以前と比べて安心感が生まれています。同僚や上司に言えないことであっても相談しやすいため、心理的安全性を高めることができたのだと実感しています。
導入して1年ほど経ち、少しずつ効果を実感していますが、社内的にはまだトライアル期間としているため、システム内の個々の情報については使用している利用者と私の間だけで管理しています。今後、上司や社内的に公開するかも含めて、使っている利用者の意見を尊重しつつ、よりよい使い方ができるように、ツールを活かせるよう進めていきます。
HRシステム導入がコミュニケーションのきっかけに、見えてきた新たな課題
システムを介して従業員から寄せられたコメントに対しては、アドバイスをすることもあります。もちろん、説教っぽくならないようにですが(笑)。これまでであれば、新人研修が終わって配属されたあとは、なかなか1対1で話を聞く機会も少なくなってしまうものですが、状況や必要に応じて1on1ミーティングを行うこともあります。MotifyHR導入がきっかけになって、接点を持ち続けることができるようになったのは、大きな変化と言えるでしょう。
どんな企業でも、上司と部下、従業員同士が接点を持ち続けることは、トラブル対応や離職回避に大変効果的です。変化に気づいて、手遅れになる前に手を差し伸べられる状況を、HRシステムによってつくることができました。
これからの課題は、上司に対する開示をどうするか、そしてシステムへの回答率の低下への対応です。そこで、今後の使い方としては、1年目は必須として、2年目以降は任意にしていこうかと計画しています。先ほどお話ししたように、2年目以降は各自の配属先の業務が本格化し、状況がそれぞれ異なるためです。
社員のなかには頻繁に連絡を取る環境を好む人もいれば、何かあった時に助けを求められればいいという人もいます。せっかく取り入れた仕組みが、かえって使う側のストレスになってしまうということにならないよう、十分に見極めることも大切です。また、このシステムで得たデータを今後の人材育成にどう活かしていくかも重要な課題となっています。
大切なのは個々の違いや価値観を認め、接点を持ち続け、焦らずに見守ること
私たちのように人材育成に関わる人たちは、どうしても劇的な変化や成長を期待しがちです。しかし、どんなに優れた研修でも合わない人はいますし、個を大切にする今の時代に、強制するのも違和感を覚えます。それはHRシステムも同様です。積極的に使うよう強いるような状態では、課題解決にはならないのではないでしょうか。大切なのは、育てる側である私たちが焦らず、個々の違いや価値観を認め、頻繁でなくても接点を持ち続け、見守ることだと思います。
また、仕事を通じて自分の人生をどう生きたいのか、多くの従業員は自身のキャリアについて悩んでいます。仕事と生活を明確に切り離すのが難しい時代だからこそ、企業側はそれに対するサポートやアドバイスをしてあげられる体制を整えていくべき。それが結果として会社の成長にもプラスになると考えています。
弊社では最近、キャリア支援室が設立され、少しずつ活動を始めています。どういう支援が必要か、対象は新入社員か既存社員か、など課題はさまざまですが、会社が従業員のキャリアに対して真剣に向き合おうとしているという姿勢が見えるのは、いいことだと思います。そして私たちの部署でも、新人、中高年の従業員に対するキャリアに対する支援を行っていきたいと考えています。HRシステム導入によって得た知識や情報、データがここでも活かせるのではないでしょうか。
まとめ
全国的に事業を展開している企業では、勤務先の違いによって従業員同士の関係性まで離れてしまうという問題が生じます。それが新入社員や入社したての中途社員であればなおのことそうでしょう。しかし、今回取材したキヤノンマーケティングジャパンでは、HRシステムを活用することで、離れた場所で業務にあたる従業員との接点を維持し、長く育成に関わっていく仕組みを作り出しました。
変化の激しい現代、コロナ禍で働き方も大きく変わりました。だからこそ、企業には従来のやり方に固執しない、柔軟な対応が求められます。自社に合った専用のソフトを上手く活用するのも一つの方法でしょう。システムにある多くの機能のなかから、自分たちが必要なものを重点的に使い、課題解決と発展を目指してさらに改善させていこうという、橋本氏のお話はまさにその見本とも言えるものでした。
人を育てるのには時間がかかるものです。そしてそこには多くの課題がつきもの。しかし、新たな取り組みを始めるチャレンジ精神と、早くはなくてもあきらめずに課題解決を目指す着実な歩みが、従業員を、そして企業を変えていくのではないでしょうか。
橋本和也(はしもと かずや)氏
キヤノンマーケティングジャパン株式会社
エリア事業戦略本部エリア事業戦略部エリア事業戦略課
※パルスサーベイ:簡易的な質問を繰り返し実施し、従業員の満足度や健康度合いを確認する調査。週1~月1など、短期間に反複して行われるのが一般的