技術革新に伴い、さまざまな業界でテクノロジーが活用されるようになった昨今。金融×テクノロジーのFintech(フィンテック)、広告×テクノロジーのAdTech(アドテック)など、人的資源(Human Resources)の分野でも、人事データの分析やAIなどテクノロジーが活用されるようになってきました。
HRテクノロジーの進化と浸透に伴い、日本企業の人事担当者は今後どのようなことに意識して、何に取り組んでいけばよいのでしょうか。
日本におけるHRテクノロジーの第一人者で、HRテクノロジー大賞※の審査委員長も務められている、慶應義塾大学大学院経営管理研究科特任教授の岩本隆氏に、今、HR業界において注目すべき人、サービス、情報の3つのポイントについて、それぞれ解説していただきました。
※HRテクノロジー大賞…日本国内企業におけるHRテクノロジー、人事ビッグデータの優れた取り組みを表彰し、HR分野の進化発展に寄与することを目的に開催されるイベント。経済産業省、株式会社東洋経済新報社などが後援。2016年に第1回が開催されてから、年1回開催されている。2018年に開催された第3回では63事例の応募あり。
目次
HRテクノロジー大賞は登竜門?自社の人事に関する課題解決に取り組んだら、HR業界で有名に!
HRテクノロジー大賞で、今までに印象に残った企業や人事担当者の方はいらっしゃいますか?
岩本氏:
株式会社日立製作所で人事を担当されていた中村亮一さんですね。現在はソフトバンクの人事部門でデジタルHRを担当されているそうです。
当時中村さんは、自分の勘と経験で人事をやっているのを、もっとちゃんと理論立ててやりたいと考え、社内のデータサイエンティストを活用して、人事データの分析を行いました。データ分析を行うことで、これまでの定性的な情報に加え、どのような人が優秀であるかを示す定量的、統計的なデータが取得できるようになり、採用活動がうまくいくようになったと言っていました。
中村さんはこのときの取り組みを、会社には内緒で第1回目のHRテクノロジー大賞に応募して、結果、イノベーション賞を受賞することになりました。すると社内で「お前、何やってんだ!?」と評判になりまして…(笑)。日立の社員数はグループ全体で見るとものすごい数なので、全社的に人材のデータ活用をやっていこうと、中村さんを中心にいろいろな部門とやりとりするようになりました。そうしているうちに「これは社外でも活用できるのでは?」という話になったそうです。
そこで事業化を視野に入れて、2017年4月にシステム&サービスビジネス統括本部内に「People Analytics Lab」という組織を立ち上げ、AIやビッグデータ解析に取り組むようになりました。そして今度は会社全体で「HRテクノロジー大賞を取りに行こう!」と挑戦し、「個を活かすPeople Analytics」で第3回のHRテクノロジー大賞で、最高位にあたる「大賞」を受賞したのです。
第1回で中村さんが受賞したときとは違い、全社で力を合わせて大賞を受賞したら、今回はプレスリリースを出したり、人財ビジネスの事業化を発表したり、全社的に活動することで日立は人事業界で一気に有名になったんですね。「HRテクノロジー大賞で受賞するとビジネスが発展する」と人事業界で話題になるようになったのは、特にこの頃からですね。
今、HRテクノロジーの分野で一番進んでいる企業は日立でしょうね。HRテクノロジー大賞を受賞してからは特に、人事総務本部の担当本部長、髙本真樹さんを取材した記事がいろいろなメディアで掲載されています。グローバル人事や日立の働き方改革、「幸せな社員の増やし方」などのテーマでお話しされていますね。
HRテクノロジーを駆使して、チームの行動データを分析したところ、総労働時間はほぼ同じなのに、生産性が高いチームと低いチームがあることがわかりました。さらに各チームの行動データをかけ合わせて分析すると、「金曜日に残業していないチームは生産性が高い」という事実がわかったそうです。このように生産性をデータで可視化することで、社員への説明もスムーズにいき、働き方改革につながったそうです。
パーソルホールディングス株式会社の山崎涼子さんも、HRテクノロジー大賞で受賞して有名になった方ですね。社員情報を分析して人事施策や職場改革につなげる「ピープルアナリティクス」を人事部門で取り組み、第1回では「退職者予測モデルの構築」で、第2回では「異動後活躍組織予測モデルの構築」でアナリティクス部門優秀賞を受賞されました。
私自身もたまに講演、研修を行うときにHRテクノロジー大賞のことをお話しするんですが、「ここだけの話、大賞に応募して受賞すると受賞者にお問い合わせがどんどん来て、講演依頼もくるようになり、有名人になるケースが多いんですよ」と話します(笑)
どのケースでも自社の人事に関する課題を解決しようと取り組んでいたら、結果的に「他の会社でも役立つのでは」という話になって事業化したり、講演依頼が来たり、ということにつながっています。いつの間にかHRテクノロジー大賞がHR業界の登竜門的な存在になっているようです。
一番難しいのは人事の課題がどこにあるか見つけること。技術的にはシンプルでも、意味のあるものが受け入れられる。
システムやサービスでは、どのようなものが特に印象に残っていますか?
岩本氏:
第1回の人事カテゴリーで奨励賞を受賞した株式会社サイバーエージェントの月次報告システム「GEPPO(月報)」ですね。これはとてもシンプルなシステムなんです。月に1回、一人3つの質問について回答するだけで、入力もすぐ終わるんですね。これだけの作業で社員の情報と評価を一元管理できます。
あと第2回で受賞した株式会社カオナビのクラウド人材管理ツール「カオナビ」です。これは社員の顔と名前を一致させるだけですので、本当にシンプルでわかりやすいですよね。このツールの活用で社員の生産性が向上したそうです。
第3回で受賞した企業の中では、Fringe81株式会社の「Unipos(ユニポス)」という、社員同士がお互いにボーナスを送り合うシステムが印象に残っていますね。これは元々社内を活性化するために始めたそうですが、実際にこのシステムで社内が活性化したのを知った他社から「うちでも使わせてほしい」と言われるようになり、事業化したところクライアントが一気に数百社になったそうです。
これまでにHRテクノロジー大賞は過去3回開催していますが、技術の中身で言うと年々バラエティに富んできています。ただ、技術的に難しいものと言うよりは「シンプルだけど意味のあるもの」が伸びてきていますね。
会社を良くするために必要なことを実施していたら、他社からも使いたいと言われるケースが増えています。ちなみに第1回のHRテクノロジー大賞でユーザー側で受賞した企業の取り組みは、多くが事業化されています。
実はHR業界で使われているテクノロジー自体はそれほど難しいものではなく、他の領域からきたエンジニアは「HRのデータ分析自体は簡単だ」と言うほどです。HRの分野において何が難しいかというと、どこに本当の課題があるか、何に困っているのか見つけることなのです。この困っていることを「ペインポイント」というのですが、HRテクノロジー大賞で受賞する取り組みは、ここをうまく改善できている傾向があります。
人事担当の方は、たとえばビッグデータ、AIといったテクノロジーについての話になると「ハードルが高い」と尻込みする方が多いのですが、そのような方に私はよく研修などでこのようなたとえ話をしています。
「みなさん、スマホを使いますよね。私はスマホを開発していました。これにはものすごいテクノロジーがいっぱい入っているのですが、誰も意識していないですよね。アプリをサクサク使いますよね。誰も説明書を読まないですよね」と言います。つまり利用者にとって、どのようなテクノロジーでできているのかはどうでもよいことなのです。
今や技術がどんどん進化していて、プログラミング言語がわからなくても代わりにAIがアプリを作れるほどです。それくらいテクノロジーが簡単になってきているので、技術系でない人でも理解できるようにならないといけないと思います。
それこそ意識しないでスマホを使えるくらいに、HRの分野においても心理的ハードルを下げて、テクノロジーを活用できるようになっていければいいですね。
世界のHRにおいてトレンドを生み出す「ジョシュ・バーシン」の活動に注目
今後の日本におけるHRのトレンドは、海外のHRの動きを見ていると、ある程度予測できるとのことですが、どのような情報に注目するとよいですか?
岩本氏:
デロイトトーマツが毎年発行しているレポート、グローバル・ヒューマン・キャピタル・トレンドが掲載している情報ですね。HR領域のグローバルトレンドをまとめたもので、私は必ず読んでいます。このレポートに書いてある内容が、その年のHR業界のトレンドになると言われています。
まず英語版が発表されて、何ヵ月か経ってから日本語に訳されたレポートが出ます。PDFデータが無料でダウンロードできますので、ぜひ読んでみてください。
ジョシュ・バーシンという方がこのレポートを作成するチームのリーダーです。以前は自分で組織や人材開発のコンサルティングを行う会社をやっていたのですが、デロイトに買収されて今に至ります。海外のHR系イベントの基調講演は、だいたい彼が話しています。
HRテクノロジーカンファレンスという世界で一番大きいHR系イベントがありまして、ここでもジョシュ・バーシンが講演をしています。彼が発信したキーワードが、そのままHR業界のバズワードになることが多いです。
海外のHRの動きを見る、という観点では、リクルートワークス研究所のレポートも参考になります。
先ほど紹介したHRテクノロジーカンファレンスは、数年前まではリクルートの社員しか視察に行っていませんでした。リクルートワークス研究所の方たちは、ずっと前から世界の情報を追いかけていたので、同社のデータベースは充実していると思います。また同社は海外のHR関連サイトと提携しているので、いろいろな情報が入ってきます。海外の動向はこのサイトから収集しています。
主に採用寄りの内容になりますがHRテクノロジーに特化したサイトもあって、採用だけで28種類あるHRテクノロジーの情報などが見られます。
「HR pro」を運営しているProFuture株式会社も海外のHR系サイトと提携しているので、さまざまな海外の情報が入ってきます。先ほどお話しした世界で一番大きいHR系イベント「HRテクノロジーカンファレンス」のイベントレポートも、ここで国内向けに紹介しています。
今後HR業界でどのような動きになっていくか見るなら、ジョシュ・バーシンのレポートや講演内容は要チェックですね。
まとめ
世の中に受け入れられている人事系サービスを見ていくと、根本に「自社の悩みを解決したい」という考えがあり、それを解決するために、誰もが対応しやすいように簡単かつシンプルに処理できる仕組みになっていることがわかります。
これからはテクノロジーの進化に伴い難しいことを行うのではなく、より技術が簡単になっていくでしょう。そして人事としての課題がどこにあるか見つけることに注力していくことが最も重要なのです。
その解決策を見つける手段として、岩本氏にご紹介いただいたような、HR業界で先進している海外の情報や他社成功事例を参考にし、ヒントを得てみてはいかがでしょう。
次回は岩本氏より「日本のHR業界における市場と技術動向から見るこれからの人事」について解説していただいた記事をご紹介します。
プロフィール
岩本 隆氏
東京大学工学部金属工学科卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)工学・応用科学研究科材料学・材料工学専攻Ph.D.。日本モトローラ株式会社、日本ルーセント・テクノロジー株式会社、ノキア・ジャパン株式会社、株式会社ドリームインキュベータ(DI)を経て、2012年より慶應義塾大学大学院経営管理研究科(KBS)特任教授。
外資系グローバル企業での最先端技術の研究開発や研究開発組織のマネジメントの経験を活かし、DIでは、技術系企業に対する「技術」と「戦略」とを融合させた経営コンサルティングや、「技術」・「戦略」・「政策」の融合による産業プロデュースなど、戦略コンサルティング業界における新領域を開拓。KBSでは、「産業プロデュース論」を専門領域として、新産業創出に関わる研究を実施。